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無限軌道対談・・・・・カタカムナの可能性 [展心に問ふ]

その四 宗教と科学
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健次郎
宗教と科学の統一という話が出ましたので霊性に関するお話をうかがいたいのですが。いわゆる科学的常識の進歩に対して、宗教的常識が進歩していないように思われるのはいかなる理由とお考えでしょうか。」
展 心
「宗 教的常識というのは、教祖となるヒトが示した言動に基づいて形成されるわけです。あえてヒトといいますのは、カタカムナ的に言語を使用する存在は神・仏で あろうと人であろうといっしょだからです。これらを記述する際には当然言語が必要となります。ところが、本来宗教が教えようとすることは霊性です。この霊 性ということが一般言語では表記できないということが根本的な問題です。つまり言語性能の限界と考えることが出来ます。」その四 宗教と科学
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健次郎
宗教と科学の統一という話が出ましたので霊性に関するお話をうかがいたいのですが。いわゆる科学的常識の進歩に対して、宗教的常識が進歩していないように思われるのはいかなる理由とお考えでしょうか。」
展 心
「宗
教的常識というのは、教祖となるヒトが示した言動に基づいて形成されるわけです。あえてヒトといいますのは、カタカムナ的に言語を使用する存在は神・仏で
あろうと人であろうといっしょだからです。これらを記述する際には当然言語が必要となります。ところが、本来宗教が教えようとすることは霊性です。この霊
性ということが一般言語では表記できないということが根本的な問題です。つまり言語性能の限界と考えることが出来ます。」
健次郎
「なるほど、発展する現代科学は数学の表現能力によって規定されているともいえるわけですね。」
展 心
「自然科学を支える数学の本性は測定です。光速を基準としたあらゆる現象事象の数式表現
目的であるともいえます。しかしその基準である光というものを現代科学は解明していないのです。これは非常に危ういことです。そして対する霊性は感受に
よってしか把握認識できません。そこで感受性によって得られた知識を他人と共有するために言語表現に置き換える必要が生じます。しかし言語表現というのは
抽象観念にすぎません。つまり誰がどんな風に抽象するかで、まったく異なった表現形態になってしまいます。これではもともとの感受内容が伝えられないわけ
ですね。」
健次郎
「つまりカタカムナ以外では表現できないということですね。」
展 心
「そういうことです。宗教がおのおのの使用言語の表現性能によって規制されてしまうのに対して、科学は数学の表現性能によって発展し続けているということになります。」
健次郎
「数学と言語というのが鍵のように思えますね。」
展 心
「数学に代表される科学と言語に代表される文学の対立が現代人間社会の構図です。しかしこれはカタカムナ的に言えば全くの無意味です。」
健次郎
「たしかに、数学ほど純粋に抽象観念であることはありませんよね。」
展 心
「つまり人類は、それほど曖昧なモノであらゆる決定をしているということでもあります。これがサヌキ型の典型であるといえます。」
健次郎
「こわいですねーー、教育問題の早急な改革が必要ですよね。」
展 心
「だからこそ生活の現場教育・ミキキにもっとも神経を使うわけですね。これははっきり言って霊性改革の最前線であるわけです。人を創るのは観念や知識ではなく、霊的環境マノスベから受ける実感・ウツシによる霊的成長・ヒビキマノスベシなのです。そうして完成した文明こそ、宗教と科学の統一が実現した天然文明・ヒトノヨとなるのです。」
健次郎
「是非ともそんなヒトノヨにくらしたいもんですねーーー。」
展心
「そうですねーー、数学では決して感動表現はできないということですね。」
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